
        
父の無念
財団法人郷学研修所 安岡正篤記念館
理事長 安岡正泰
最近、「義命」の意味をよく尋ねられることがあり、その都度『終戦詔勅』と父との関わりあいを思い起こされる。
「義命」については、すでにご存知の方も多いと思うが、出典は中国春秋時代列国の興亡と人間群像を描いた『春秋左氏伝』であり、その中の「成公八年」にある「信以て義を行い、義以て命を成す」に拠るものである。また元朝の名臣張養浩の名著『為政三部書(原題・三事忠告)』の「牧民忠告」にも「君子は則ち義を以て命に処し、而て命を以て義を害せず。以て進むべくんば則ち進み、以て退くべくんば則ち退く」と「進退」と「義命」について論じている。
父は、己がいかなる人間かという自省のうえに立って、どのような問題に遭遇しようが(命)、良心の判断(義)を以てあたり、自らを誤魔化すことをしない。そこに「以義成(処)命」の真の意味があるのだと説いている。
また『終戦詔勅』の刪修加筆にあたって、とくに「義命の存する所」と「万世のために太平を開かむと欲す」の文言を加えた。しかし「義命の存する所」は難しいとして削除され、「時運の趨く所」と変更された。
「時運の趨く所」とは風の吹くまま、なるようになって降伏することであり、もってのほか、道義・良心のもとに降伏するのであるから「義命」でなければならない。そうでなければ「万世のために太平を開く」の意味も全く否定されてしまう。このご詔勅は今後の日本の運命がかかっており、歴史上千古の惜しむべき失敗であると、父から度々聞かされたことがあった。
時の指導者の安直さを嘆き、己の魂も傷つけられた父の心情を察すれば、まことに無念の一語に尽きたのであろう。
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